ENOKI's BIO 2/3【024】

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こんにちは、ENOKI( @enoki0520 )です。

前回に引き続き、自己紹介の記事です。

今回は暗黒時代・中学から浪人までを書きます。

 

●ENOKI's BIO 過去の記事●

 

 

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4.中学 - たぶん一番とがっていた頃。笑 -

そのまま地元の中学に入学。

A子たちが何かをしてくることはありませんでしたが、A子たちが撒いた噂が他校出身の子たちに広がり、空気を読んでわたしと距離を置く…みたいな感じでした。

特に名誉を挽回しようだとか、そういうことを考えることもなく、中学時代は『THE 一匹狼』な3年間を過ごしました。

それと、陸上部で砲丸投をやっていました。

親に運動部に入れと言われて部活を探しているところに、わたしが入学した年に赴任した先生が立ち上げたばかりの陸上部を見つけました。

先輩のしがらみもなくて楽そう、くらいのノリで入ったものの、陸上部を選らんだことは大正解でした。

まず個人種目なので記録が伸びるかどうかは自分次第というところがわたしに合っていて、小さな大会で優勝するくらいには力をつけました。

 

この頃のわたしの心の支えとなっていたのは音楽でした。

中3まで音楽の習い事をしていたこともあって、音楽(演奏)は元々大好きでした。

この時期は音楽を聴いて色々な想像をしたりして、好きなアーティストから派生して自分の好きな音楽の幅が広がっていきました。

小学生の時から大好きなアーティストのファンクラブに入ったり、ANNの公開収録に当選してライブより前に彼らを初めて生で見て泣いたり。

日常がやさぐれていた分、音楽に対してはとても純粋な『好き』という気持ちを持っていました。笑

わたしは中学と同級生が大嫌いだったので、「この人たちとは卒業したら二度と会いたくない!そのためにもいい高校に行こう」と思いました(偏差値が高い高校に進学する同級生は少ないはずなので)。

そして、第一志望だった都立高校有数の進学校に入学するのでした。

 

5.高校 - 一番堕落していた日々 -

高校生活はわたしにとってパラダイスそのものでした。

私服校だから服も髪型もピアスも自由だし、友達もたくさんできたし、部活も楽しいし、高校最高!と叫び続ける、中学までとは打って変わって楽しい日々を送りました。

 

高校の部活は硬式野球部(マネージャー)でした。

入学前は某音楽系の部活に行くつもりでしたが、体験入部をした時の先輩たちの雰囲気がわたしとは合わないと思い、あっさり方向転換(A子がその部活に入ったのはここだけの話)。

じゃあどうするか?と頭を悩ませていたわたしの前にやってきたのが、小中学校の1つ上の先輩。

そのまま彼に誘われるがままに入部しました。

ショートがどこかわからないくせにマネージャーになりましたが、中学の時にはなかった先輩や後輩、(野球部OBの)監督など、同級生以外との関係など、高校時代のわたしの生活の大きな軸になります。

 

また、学校の行事で百人一首ガチ勢になります。笑

詳しい経緯は省略しますが、部活でマネージャーという陰に隠れた存在だったわたしにとって、プレイヤーとして自分が主体で楽しめる百人一首はすごく新鮮でした。

 

高校は楽しいことだらけでした。

ただ、わたしは勉強を「これほどか」というくらいに疎かにしました。

英単語も文法も「先生が嫌い」とか言ってまったくやらなかったし。

物理では生涯最初で最後の赤点(17点)取るし。

生物も遺伝以外はボロボロだし。

世界史もカタカナめんどくさいって覚えようともしなかったし。

でも数学と日本史は今でも好きだし、できる子でした。

わたしは高3の文理選択で文系に行きました。

理科ができないという消極的理由からお察しで、あれがやりたい!という明確な目標は持てませんでした。

明確な目標もないまま部活を引退し、受験勉強に励みますが、2年間疎かにしたものを半年で取り返せるほど世間は甘くありませんでした。

高校を卒業し、4月から河合塾池袋校に通い始めます。

浪人生活の始まりです。

 

6.浪人 - この1年は多くのことを学びました -

わたしの高校は現役進学と浪人がほぼ半々だったので、浪人自体にはあまり引け目がありませんでした。

ここで得たものは友人や学力など様々ですが、一番大きかったのは考えることの重要性と、個性的な大人たちに出会えたことです。

わたしが日本史大好きだったのは既出ですが、(少なくとも私が通っていた当時は)D先生というカリスマ的人気の先生がいました。

主に難関私大向けの日本史の講義を受け持つ先生で、『何が書いてあるかわからない昔の資料からどうヒントを見つけるか』『物事が起こるのには理由があって、それを一緒に理解すればいい』ということの考え方を教えてくれました。

毎回モグリが出るほどの人気の授業で、わたしもボイスレコーダーで録音したりして必死にしがみついていました。

講義にあんなに一生懸命になっていたのは、今振り返ってもD先生の日本史だけです。

D先生以外にも個性的な先生がたくさんいました。

人生に絶望している(ネタか本当かわからない)現代文の先生、ピンクの刈り上げた髪が印象的で下ネタを絶対挟む古文の先生、紅白歌合戦出場経験のあるバンドでギターをやっていた古文の先生、AKBのまゆゆ推しだったオネエの英語の先生などなど…。

学校の先生に近いイメージの、予備校講師の「ちゃんとした、人を指導するにふさわしい人」というイメージの先生はいい意味で誰一人いませんでした。

当時のわたしが感じていた「社会人=色々なものにガチガチに縛られた人」という印象をいい意味で裏切っていたのは、週1ペースで会うような人たちだと彼らくらいでした。

 

浪人が終わり、第一志望ではないものの、都内の某私大法学部政治学科に進学します。

わたしは政治学に興味があって、政治を学べるところ→法学部政治学科or政治経済学部政治学科、という志望校の選び方をしました。

政治は『現在と未来』に直結するものなので、真剣に学んでみたいと思っていました。

ですが、政治と真面目に向き合うことなく、わたしの大学生活は終わります。笑

 

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