ENOKI's BIO 1/3【023】

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こんにちは、ENOKI( @enoki0520 )です。

世界陸上ロンドン大会も終わり、このブログも一段落しました。

まだ今週は世界陸上に関する記事も執筆予定です。

世界陸上の期間中の出来事で記事にしたいことがあったので、それも今月中には記事にする予定です。

 

今回はスポーツ記事からガラリと趣を変え、自己紹介の記事を3回にわたって書きます。

かなりの長文になりますが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします。

 

 

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0.ENOKIとは

・都内在住の社会人(2017年卒) 兼 スポーツライター

2019年中に海外移住を予定(2017年8月現在はドイツを想定)

 

1.~就学前 - ENOKIの素地は既に出来上がっていた!? - 

1993年の雷が鳴る日、東京都の多摩地区で生まれました。

本名は雷が止んだ後の空にちなんで、父に名付けてもらいました。

 

幼少期から『何かを作ること』が大好きでした。

わたしの家族は比較的仲が良く、(子供2人が成人した今でも)家族の誕生日が近い土日には誕生日パーティーをやります。

誰かの誕生日の度に誕生日パーティーのプログラムを作成したり、飾りを作ったりしていました。

性格の面で言えば、この頃から『自分がこうだと決めたことは絶対で、譲らない』というところは持ち合わせていました。

習い事の発表で役割分担をしないといけないときに、自分のやりたい役割を他の子から強奪したこともありました。笑

今思えばただのわがまま…、あやちゃん4歳なのに大人の対応ありがとう…!笑

 

2.小学校入学 - 好きなこと楽しいこと -

幼稚園を卒園後、そのまま地元の小学校に入学します。

正しい時系列では幼稚園時代の話になるのですが、わたしは絵の具から出したようなオレンジのランドセルが欲しいと駄々をこねまくりました。

RGB値で例えると(255, 177, 0)のイメージなので探してみてください。笑

わたしが小学校入学した頃は、まだ『男の子→黒、女の子→赤』の時代です。

紺やワインレッドのランドセルですら少数派でした。

今でこそカラフルなランドセルも多いですが、当時オレンジのランドセルは本当に珍しい上に値段もかなり高かったらしく、駄々をこねまくったものの結局赤いランドセルを背負うことに。

 

また、わたしの『もの作り好き』の覚えている限りで原体験と思われる経験もします。

小学校4年生のときの国語の授業で『もし班のメンバーで1週間無人島に行ったら』という内容でリレー小説を書くというものがありました。

リレー小説が楽しくて仕方なくなったわたしの班は自分たちでノートを買って、3月まで物語を書き続けました。

最初は班員以外のクラスメイトや担任の先生がゲスト出演する程度でしたが、後半はとにかく何でもありでした。笑

このときの経験が、『予想外のものが来たときにどう返すか、どう相手を驚かせるか』ということを考えるのが好きな原体験だったように思います。

まあ、『どう相手を驚かせるか』という部分は誕生日パーティーのプログラムの方が先な気もしますが、細かいことは置いといて。笑

 

3.小学校高学年 - 暗黒時代到来! -

小学校の後半は、まさに『暗黒時代』でした。

先ほどのリレー小説を書いていた班が男女2人ずつの4人。

わたしはもう一人の女の子(A子)と仲が良く、クラスの他の女の子2人(B美、Cちゃん)と4人で遊んでいました。

ですが、A子とB美はわたしが気に入らないことをするたびに「絶交」と言って仲間外れにしてきたんですね。

Cちゃんは「4人で仲良くしたいけど、A子とB美と一緒にいる」というスタンスでした。

何が悪いのかわからないけどとりあえず謝って仲直りをしては、また絶交…を2年くらい繰り返していました。

何が悪いかわからなかったというのは、本当に理不尽すぎる理由だったからです。

 A子とB美の秘密基地を暴いたから、とか。笑

(秘密基地と言っても、公園の奥の方にある、人があまり来ないところのこと)

今のわたしなら速攻で関係を終了するのですが、なぜかこの子たちとは関係を続けていました。

 

そしてここからが真の暗黒時代。笑

5年生のクラス替えでまたA子と同じクラスになり、最初は仲良くやっていました。

あるとき、何回目かわからない『絶交宣言』を告げられました。

今まで通りだったら謝っていたかもしれませんが、「わたしたちを取ったらENOKIには何も残らないもんね」というA子の言葉にはさすがにブチ切れ、A子に宣戦布告しました。

そうすると、A子が他のクラスメイトに根回しをしていたようで、すぐにわたしはクラスで孤立しました。

 

わたしは今でもいじめにあったという認識はないのですが、多分周囲から見ればいじめられていたんだと思います。

クラス中からのシカト、A子たちに事実無根の噂を流されまくるなどなど…。

クラスが一緒になったことのない同級生からも避けられる始末。

それでも不登校や保健室通いは学生生活中一度もありませんでした、というか思い立ちもしませんでした。

わたしが辛い思いをするのがA子たちの喜び

 →わたしが不登校になればA子たちは喜ぶ

 →A子たちを喜ばせてたまるか!!!!

という反骨精神のもと、何をされても何食わぬ顔で登校しました。

同時に、教室で起きていることを知っていたはずなのに何もしてくれない担任やクラスメイトなどに対する不信感が募り、家族以外は誰も信じられなくなりました。

ストレスからおやつをドカ食いする日々が続き、お世辞抜きのぽっちゃりデブになっていました。笑

でもこのときの経験を通じてわたしの『最後に信じられるのは自分だけ』という今でも自分の根幹にあるものが形成されました。

 

この頃の心の拠所はインターネットでした。

家族共有のパソコンがあって、1日1時間だけ使っていいことになっていました(親の目を盗んでは長時間パソコンの前にいました。笑)。

おもしろフラッシュなど、当時の同級生たちの間で流行ったものにも手を出しましたが、一番の自分の居場所はお絵かき掲示板でした。

わたしは幼少期から絵を描くことが好きで、当時は某少女漫画誌を愛読していました。

そのため、その雑誌のお気に入りの漫画家さんのファンサイトの掲示板に登場人物の女の子の絵を投稿しては、他の投稿者と交流をしていました。

小6の後半にはペンタブレット(2000円くらいのもの)を購入したり、途中保存ができる掲示板を見つけたりして、現実逃避をしていました。

あと、小6のときは某スポーツの王子様漫画にドはまりしました…。笑

その頃の絵柄はもろにその漫画の影響を受けていました(懐かしい…)

 

そのまま小学校を卒業し、わたしは地元の中学に進学するのでした。

 

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